水 中 散 策 九:あんよはおじょうず |
||
3 | ||
家に帰ると鮎水はさっさと部屋に上がり、ソファに座ってテレビを付けた。 こんな時間なので、面白そうな番組はない。 朝一のニュースがまぶしい顔で昨日の事件を伝える。 私は台所に行くと、冷蔵庫の指定席に卵パックを押し込んだ。 その中からひとつだけを取り、ボウルに割る。 相変わらず失敗し、破片が黄身に飛び込んだ。 ぐちゃぐちゃにしながらも全て拾い上げる。 今度は流しの下からゴミに出すつもりだった古いランチジャーを取り出した。 銀色のボウルに殻を入れ、菜箸を二組掴むと庭に出た。 「鮎水おいで。」 サンダルに履き替えると、鮎水もすぐにやって来た。 「鮎水、お墓作ろう。鮎水の。」 しばらくの間私の方を見ると、かすかに頷いた。 鮎水の髪が風もないのにゆらゆらと揺れていた。 私もやっぱり、髪を伸ばしてみたいと思う。 長い髪というのは、どういう感じなのだろう。 ふわふわして、鬱陶しいのだろうか。 それとも、肩に触れるたびに海の砂のようで、くすぐったいのだろうか。 「こんなかんじだったと思うんだけど。ちょっと違うかな。でも良いよね。」 そう言って、ボウルを鮎水と私の真ん中に置いた。 「あ、そうだ。待ってて。忘れ物。」 家の中へ戻ると、あのダンボールでできた鯉子BOX、それとマッチとゴミ箱を持ってきた。 「こっちが先だよね。」 鯉子BOXに火をつけた。 徐々に大きく、赤くなっていく。 ある程度勢いがついたら今度はゴミ箱を逆さにして、中の紙くずをくべた。 火が強くなってきたので上にボウルを置き、卵の殻を焼いた。 熱かった。 夜明け前とはいえ、この夏場に焚き火はキツイ。 顔が赤く火照る。 鯉子BOXはもう原型がなかった。 火はメモにも燃え移り、クレヨンの文字を溶かしていく。 「こいこ、かえります」も、とうとう読めなくなった。 燃えていく。 燃えていく。 そしてボウルの中で、白いカルシウムは良い具合に焼き上がるのだ。 鮎水は黙って見守った。 鯉子の痕跡が焼けて消えていくのをじっと見ていた。 燃え尽きて火が消えると、ボウルと殻と黒い灰だけが残った。 灰の山が銀色のアルマイトを支えているようにも見えた。 「始めようか。」 私が言うと、鮎水は菜箸を構えた。 白い殻の破片を一つ選び、四本の箸で挟んでいく。 ランチジャーの中に落ちると、カツンという小さな金属音がして砕けた。 次も、ふたり一緒に殻をつまみ、またジャーに落とす。 それを何度か繰り返して、最後はホウキとチリトリでごく小さな欠片を拾い、全部ジャーの中に入れた。 卵は小さいから、全て入れてもジャーはまだまだ余裕だ。 しかし私は気が済まずに、大きめの欠片に菜箸を突き刺して砕いた。 殻はもろく、大した音はしなかった。 「喉仏です。」 さっき黄身の中に落とした欠片を予め別にしておき、このときに取り出した。 そしてそれをジャーの一番上に乗せる。 鮎水が取り上げて、蓋をしっかりと閉めた。 その後、庭に穴を掘ってランチジャーを埋めた。 鮎水が積極的に手伝ってくれている。 私は狐につままれたような気持ちで、その光景を眺めていた。 ジャーを深いところに埋め、土を被せて見えなくした。 こうして、鮎水の骨は丸々庭に埋まったのだった。 また、夢を見た。 空が一瞬のうちに暗くなり、大粒の雨を降らす。 でもそれは以前のような冷たく狂った嵐雨ではなく、体温に近い生温かい雨だった。 見上げると空には巨大なエイがいた。 「お前、泣いてるの。」 相変わらず巨エイは何もしゃべらず、ゆっくりとしたスピードで頭上を通過していく。 表情を崩さぬまま小刻みに震え、新宿の方へと向かっていた。 私は立ち上がって後を追おうとした。 しかし、もうその必要もなかった。 巨エイの体表にしゃぼんのようなぶくぶくが立ち、はじけるごとに小さくなっていく。 入浴剤だ。 最後はふたつに分離すると、両方ともが消滅を続け、そしてすっかり見えなくなった。 エイが通り過ぎると地面は濡れた形跡すらなく、すでに明るくなった空は先ほどのままだった。 朝が焼けてくる。 すっかりさっきの続きだった。 「鯉子。」 私はずっと隣に座り込み、埋葬を手伝ってくれた人影に声を掛けた。 「クリーニング代。観覧車の料金で、チャラにしてくれない。」 鯉子は立ち上がって膝についた土を払うと、サンダルを脱いで部屋に上がった。 「考えといてあげる。」 背中越しに彼女の返事を聞くと、私は辺りに散らばった灰を片づけ始めた。 |
||
← → |
||
水中散策TOP / MUSEUM TOP / INDEX |