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帰島してから五日目の夜、オホロもまたあの奇病に侵す侵されていることがわかった。
二日間、宙をぐちゃぐちゃに掻き回し、最後にはイヨの名を叫んで、息をひきとった。

オホロはあの船の長だったから、つまりはこの島の英雄だった。

彼の死は島中を恐怖と失望とにつき落とした。
そして誰より悲しんだのは、踊り子である―この島では踊り子はワダツミの化身だと言われていた―イヨだった。

一晩島は彼のために泣き、そして翌日村長のオネにより、ワダツミをなだめる儀式の決行が言い渡された。
島を脅かすこの奇病はワダツミの怒りによるものである。オネはそう言った。
他国からの干渉がワダツミの怒りにふれたのだ。

「出てきたぞ、イヨだ。」
「オホロの嫁のイヨだ。」
イオはあの帰島の祝賀会のときと同じ衣装でコタ達島民の前に現れた。
側の小舟には蝋燭が何本もくくりつけられていた。
これがワダツミの怒りを鎮める儀式だという。
踊り子はワダツミのいる大海原に舟を浮かべ、その上で蝋燭に火を灯し、ワダツミのために踊るのだ。
舟は小さかったが、あらゆる部分に職人達の意匠を凝らした技術が施されていた。
ちょっとやそっとの海風では蝋燭の火は消せない。

本土に誇れるこの島の最高技術である。
闇夜にしか姿を見せないワダツミを出迎えるため、 島民達がここにいることを知らせるための技術である。

村長がコタの頭を撫でた。
「おまえの眼は今日のための眼だ。その眼にイヨの姿をしっかりと納めて、ワダツミに何が起こるか覚えておきなさい。そして私達に教えておくれ。」
コタの眼は四半里先まで見えた。
暗闇の中でもこのくらいの距離ならば、イヨの姿は容易に捉えられた。

イヨを乗せた小舟が出た。
ゆっくりと、沖の方へ、まっすぐ進んでいく。
オネがコタの肩に手を置いた。
彼等の眼ではここまでが限界なのだろう。
この先はコタにしか見えない。
全ての観察と記録が、コタに委ねられた。

「じいさま、舟が止まったよ。」
オネは頷いた。
「じいさま、イヨが火をつけたよ。」
オネは小さく頷いただけだった。
このとき舟で何が起こったのか知っていたのは、すでにコタだけだった。
「じいさま、火が燃えているよ。」
オネは眼を細めて沖の方を見ていたが、海の上に赤い火が浮かんでいることしかわからなかっただろう。
オネだけではない。コタ以外の全ての島民が、イヨと小舟の姿は捉えられていなかった。
「少し、火が大きくないか。」
見物人の中の一人がぽつりと呟いた。
「そりゃあそうさ、俺の作った蝋燭だ。ワダツミを迎えるとなったら、あのくらいの勢いはねぇと。」
コタはただイヨの姿に見入るのに必死で、二人のやりとりなど耳に入っていなかった。