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イヨは海の上で舟を止めると、まずかんざしを抜きとり、続いて髪を全てほどいた。
踝まである黒髪を揺らし、帯から扇子を抜き取る。
そして、長い髪の先端に火をつけた。

イヨが踊る。
赤い火を灯した長い黒髪が揺れる。
火は髪から髪へ、髪から着物へ、そして小舟へと燃え移り、瞬く間に火は舟全体を包み込む。
まもなく小舟は赤い火の鞠となって海面を跳ね、滑り落ちた。
今にもひっくり返りそうな舟の上で、イヨは踊る。
長い髪は燃え上がり、イヨの頭に大輪の赤い花が浮かび上がる。
白い手が宙を撫でる。
赤い着物が、炎の中でより一層赤く光り輝く。
暗闇の中にただひとつゆらめき、燃え上がる赤が、見るもの全てを虜にする。
そのあまりの圧倒的な光景に、コタは息を呑み、感嘆の溜息をもらした。これ程妖艶で幻想的なイヨの姿は、今まで見たことがなかった。
これがワダツミの化身。
その言葉の意味をそのまま飲み込んだ。

とうとう燃え崩れた舟がひっくり返った。
赤い花をかかげたイヨが海に落ちる。
長い髪が舟にひっかかり、イヨは垂直に沈んでいった。

しかし髪の火は消えない。
水中で枝のようにからみあった髪は未だに炎を上げ続け、海を赤く染め上げる。
転覆した舟はまるで小島だった。
赤く燃え上がる小さな木の島。
舟底にくくりつけられたオホロの姿はさらけ出され、赤い炎がその姿を浮き彫りにする。

「やっぱり変だ、炎が大きすぎる。」
見物人達が異常に気づき始めた。
「おい、オホロの死体が無くなってるぞ。」
島民の一人がオホロの家の方から走ってきた。
「じいさま、イヨがオホロを呼んでるよ。」
オネはもう隣にはいなかった。
イヨだ。イヨがオホロを運び出したんだ―。
島民達が騒ぎ出した。
ただ、コタだけは、沖の方から聞こえてくる、海風とも波音とも言えぬ雄叫びに、言うなればワダツミの声に、耳を傾けていた。

イヨがオホロを導いていた。
見えるように、聞こえるように、ここで火を灯して、ここで名前を呼んで・・・。
嘘のようにさざ波が静まり返る。
舟の上で海風は漆黒の渦を巻く。
海に、空に、響き渡る慟哭。
天高く伸びた炎は、その全てを燃やし尽くすまで燃え続けた。
もう誰も騒がなかった。
火は消えるどころか水面下に、水面上に果てなく垂直に燃え広がり、海と空とを結んで一本の巨大な火柱となっていた。
その炎の揺れる様はまさにイヨの踊る姿。
人の姿を借りた、ワダツミの化身だった。