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夜明けと共に火は次第に弱まり、一番鳥の鳴く頃にはもう炎は見えなくなっていた。
海に浮かんだ赤い小島は、ただの黒い炭の塊と化していた。
空も海も青を取り戻し、全てが元通りになろうとしていた。
と思った。
しかし・・・
「見ろ、海が―真っ赤だ。」
誰かが叫んだ。
夜明けと共に露になった海は、島民達の馴れ親しんだあの海ではなかった。
いつもの青はなく、炎のような赤。
それを合図に次々と悲鳴が上がる。
取り乱す島民達。
「祟りだ、ワダツミの祟りだ。」
島民達は狂ったように、まるで皆が皆あの奇病に侵されたかのように、口々に神に祈り始めた。
眼を閉じる者。耳を塞ぐ者。その場にしゃがみこむ者。
海しかないちっぽけな島だった。
その海がもはや海でなくなっていたのだ。
この世の終わりだ。
誰かが叫んだ。
誰もがそれを信じた。
ただ一人、コタにはこの赤い色の正体が見えていた。
あの酒の、あのきらきらが、今真っ赤に染まり上がってこの海を支配していた。

数時間後、鉄の塊が空から降りてきた。
中から出て来たのは本土の人間だった。
ただ呆然と海を眺めているだけの島民達。
本土の人間達は彼等を見、村長は誰かと尋ねた。

この島の裏山は、本土の工場から排出される汚染物を捨てるための、いわば「ゴミ捨て場」だった。
月日が流れるうちに廃棄物の毒は次第に土壌にしみ込み、湧き水にも毒が混ざるようになった。
そしてその毒はとうとう海にまで流れ出し、赤潮を引き起こしたのだという。

島民達は勿論何も知らなかった。
廃棄物を捨てるために、本土の人間がこの島にこっそり来ていることにすら気付かなかった。
彼等はこの島を、ワダツミの守る神聖な島だと信じてきた。
そして自分達はワダツミの姿を拝むことの許された、唯一の種族なのだと信じていた。
彼等の祖先は囚人で、ゴミ捨て場であるこの島に流され住みつくようになっただなんて、信じようとするはずがなかった。
そして当然、この海がそんなもので赤く染まっただなんてことも、信じられるわけがなかった。
神聖な島への本土の侵入を拒むためのワダツミの怒り。
イヨとオホロの死と炎の奇跡。
そして今眼の前に、この火色の海。
疑う余地などない。
ここはワダツミの島で、自分達は誇り高きワダツミの従者であった。

しかし現実は彼等に厳しかった。
この海を見て、もはやこの島での生活が不可能であることは、無知な島民達の眼にも明らかだった。
この島はもう死んでいた。
島中のどこの水からも、微量ではあるが毒は発見されていた。
島民は全員本土へ。島を捨てて本土へ。手遅れになる前に。直ちに荷物をまとめなさい。唇を噛み締めたオネから言い渡された。

あの調査員と入れ替わりに、今度は港に巨大な船が着いた。
もう誰も口を開かなかった。
何が起こったのかさえも、理解できないでいた。
一人船から海を見つめるコタに、オネは声をかけてはくれなかった。
コタは島を見た。
だんだん小さくなっていく故郷。
丁度小舟をひっくり返したような形だった。
真っ赤な炎の海に、ちっぽけな舟が一艘、転覆していた。
「じいさま、島が燃えているよ。」
コタはオホロが死んでから、初めて泣いた。