水 中 散 策

二:海底都市



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水中の世界でうずくまる。
最近ではずいぶん長い時間潜っていられるようになった。
たまに口からあぶくがもれると、まるで本当に金魚になったかのような気分になる。
ゆらゆら揺れる赤い水着の裾は、金魚の尾ひれのよう。
目の端でゆらめく黒い髪は、漆黒の藻のよう。

そこで違和感を覚えた。
私、赤い水着なんて持ってたっけ。
私の髪、こんなに長かったっけ。

不審に思って髪を辿ると、目の前に前髪ぱっつんの鯉子が現れた。
ニターッと笑うと水中で一回転する。
素早いターン。
伸びたつま先が美しい。

掻き分けられた水はみるみる透き通っていき、タイルが剥がれて下に街が現れた。
見覚えのある高層ビル。
人混み。排気ガス。
上空から、間違えた、水中から見下ろした新宿の街だ。
すぐ後ろを巨大なエイの群れが通っていく。
鮎水を乗せた、あの巨エイだ。

何だ、仕組みはとても簡単。
新宿の空で見たエイはここを泳いでいたのだ。
私達は足下のあの小さな街から、プールの底を見上げていただけだったのだ。

喉元まで響いていた心臓の音が、すぅっと引いていった。
水の中が好きな理由のもうひとつは、自分の心臓の音に怯えないで済むから。
鯉子と私は示し合わせたかのように、毎分きっちり百回脈を打つ。
ことあるごとに強く、弱く、強く打って、喉元までせり上がってくるから、心臓は打ち上げ花火なのだと思っていた。
そんな私の心臓が唯一落ち着いてくれるのが、水の中。
潜るほどに脈は下がり安定していき、ああ私はお魚だったんだわと思うのだ。

だから、鯉子は死ぬのは怖くないと言う。
私も、死ぬのは怖くないと思う。
この心臓はずっと昔から死と隣り合わせ。
もう少し、脈が大きくなったら、心臓が破裂した、時が死。
一生で一番ドキドキして、わくわくして、その瞬間が、私達の死。

「鯉子、オサカナ。」
赤い水着の鯉子が言った。

こんな夢を見ているのは、私一人で十分。
これがまた白昼夢だってことくらい、わかっている。
エイの群れが教えてくれている。
それでも。
ここは私の王国で、指の間から流れてしまわないようにとラッピングしたくなるのだ。

鯉子と私は、同じ場所にいたっていつも、見えているものも聞こえているものもまるで違った。
同じ成分でできているのに、同じ構造をしているはずなのに。
住んでいる世界が異なるのだ。
同じ部屋にいたって主人とペットの金魚くらいに、生きている環境、育っていく過程そのものが違う。
鯉子と私の間にあったのは鏡ではない。
壁だった。
ガラスの水槽だった。

鯉子が水槽に足をつっこまなければ、私が陸へ上がるつもりなど毛頭無いから、存在を意識することさえないはずだった。
それなのにある日いきなり、鯉子は溺れるようにして水の中に、私のテリトリーに飛び込んできた。



そのまま鯉子を引きずり込んでふたりで歩いた。

水中散策。

私はそう呼んだ。


 



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