水 中 散 策

三:シェルター



1
ヘッドフォンからわずかに音が漏れてくる。
何の歌だかは聞き取れない。
きっと私の知らない、洋楽か何かだろう。
彼女が曲に合わせて体を揺らすので、私も知らず知らずのうちに指でリズムをとっていた。

「ちょっと、聞いてるの。」  
その声に私は我に返る。
視線の先にいた少女はこちらを一瞬見て、またふいとそっぽを向いてしまった。
ヘッドフォンを耳に当て、椅子の脚元で小さくうずくまっている。
「亜由美、こっちおいで。」
繭花が呼ぶと、少女はテーブルの下をくぐっていそいそと移動した。
亜由美は私のよ、といわんばかりの表情である。
「呼び出したのそっちじゃない。」
ごめん、と私は小さく言った。

繭花は何でも知っている。
うんと小さい頃から、鯉子と私と一緒にいた。
母の兄の娘だから、私達の従姉。
もちろん、私の例の病のことも。
今回も鯉子の件で頼って呼び出したのだ。

「今回のは、治り、遅いみたいね。まだ鯉子が子供に見える?」
その一言から、やっぱり異常なのは私ひとりで、みんなの目には鯉子は正常に映っているのだと知った。
予想はついていた。
それでも彼女達を呼んでまで確かめたかったのは、風呂場で鯉子がおかしくなってから四日、私の白昼夢がこんなに長く続いたことなど今までなかったから。  

繭花にはどんな風に見えてるの、と聞いてみた。
別に。
繭花はさほど興味もなさそうに、携帯電話のボタンを押しながら答える。
あ、でも。
メールを打つのをやめて、少しの間画面を眺めてから言った。 

「一卵性双生児って面白いよね。テレビで特集されてたけど。
テレパシーみたいのがあって、表に出さない表現まで見透かされちゃうんだって。
あながち嘘じゃない気がするよ、あんた達見てると。」
見てて飽きないよ、と繭花は言う。
半分馬鹿にされたような、でもさして嫌な気分ではなかった。

昔は一挙一動が等しくて、それが鏡に映したみたいで面白かったのだという。
生まれてくるときの情報が全く同じだった私達だからこそ、感覚器官も同じつくりをしていて、同じ現象に同じように反応してしまう。
「片割れのあんたが鯉子について言うんなら、私は信じるかもよ。」
何だかんだ言っても世話好きで、結局は文句をいいながらも協力してくれるのだ。
「鯉子に何かあったの?」
「だから"幼児帰り"してるんだって。さっきから言ってんじゃん。」
話はまた振り出しに戻る。

「誕生日が近づいてるからかな。」
「え、どういう意味。」
「鯉子、十五になると死ぬから。」
え、と何秒か空白があった。
「何それ、聞いてないよ。何、病気持ち?」
「嘘。私こーんなちっちゃい時から毎日のように聞かされてたんだけど。
『私十五になる前に死ぬんだぁ』。
聞いたことあるでしょ。」
「ないよ!一度も!」

それじゃあこれも、鯉子、どうして私だけに。

「っていうか何その中途半端にメルヘンチックなの。眠り姫とか人魚姫とかでそんなのあったよね。」
「鯉子案外メルヘンチストだよ。わりと最近までシンデレラとかの童話、キュリー夫人みたいな偉人伝だと信じてたし。」
「初耳だよ。」
ふぅと、繭花がため息をついた。
私だけ。私にだけしか、教えなかったのだ、鯉子。

鯉子は別に怖がる風でもなく怯える風でもなく、ごく自然にありのままに、わたししぬの、とさらりと言ってのけた。
だから私もそうなんだ、とそれ以上考えたことはなかった。
元々鯉子と私はひとつで、どちらかは生まれてこないはずだったのだ。
五十パーセントの確率で自分は生きていないのだと思えば。

「ところで鯉子は。」
「今向こうの部屋でテレビ見せてるよ。」
「亜由美は。亜由美もいないんだけど。」
そう言えば。
いつの間にか私の指も、リズムを刻むのを止めている。
「亜由美って狭いとこ好きだったよね。」

鯉子の部屋の扉を開ける。
久しぶりにここに足を踏み入れた気がした。
用のあるとき以外はめったに入ったことがなかった。

「ほら、やっぱりここにいたよ亜由美。」
奥に置いてあるダンボールの箱の隙間から、ヘッドフォンのコードが見えていた。
その隙間、もとい箱の入り口は途中まで切り込みが入っていて、ドアのようにパカパカと開けることができる。
屋根はちょっと凝っていて、まっ平らではなくてまるで絵本に出てくる「赤い屋根のおうち」のよう。
ダンボールの破片を斜めに貼り合わせてある。
あれと同じだ。
子供用に通販でよく売っている、おもちゃの家。
ただ入るのは鯉子だから、あれよりだいぶ大きい。

「何これ。」
「ダンボールの家だよ、見ての通り。」
「何でこんなのが鯉子の部屋にあるのよ。」
「だから、鯉子が入るから。」
鯉子BOXって言うんだよ。
子供に戻ってからはまだ一度も使ってないみたいなんだけど。

「何考えてんの、あんたたち。」
繭花が眉をひそめた。
「これ手作りだよね。どっちが作ったの。」
「私。鯉子の方がうまいくせに、こういうの面倒くさがってやりたがらないから。」
不器用な私のわりには、結構良くできてるでしょう。
角の四隅はダンボールを二重にして、強度を上げたんだよ。
屋根のラインも絵本を見ながら切ったから、とっても綺麗。
「鯉子結構気に入ってたみたいだよ。珍しく、わざわざ私に頼みに来てさ。」
繭花の視線がどうにも嫌だった。
「鯉子が、私に、作ってって言ったんだ。」

私をあきらめた繭花が、鯉子BOXを覗いた。
大きめに作ったから、亜由美がいてもあとひとりくらいなら入れそうだ。

「中、これは何。何かのゲームとか。」  
箱の中は一部を除き、ほとんどが真っ黒に塗りつぶされていた。
ごく一部だけ、四角く切り取るようにして肌の色が残っている。
「中入っていいよ。それはね、鯉子の"寿命カレンダー"。」
また繭花が変な顔をした。

「この箱は、鯉子だから。」
私は右手だけ中につっこんで、黒いマジックの渦を指でなぞった。
「もともとは線が引いてあったんだよ。縦と横にめいっぱい。
一日にひとつずつマスを塗ってってね、全部塗り尽くした日が鯉子の"命日"。」
かくれんぼをして、そのまま自分すら気づかずに消えてしまう。
そんな最後を迎えたかったのだと思う。  

おかしい、と繭花がぽつりと言った。
狂ってる。
わかっている、そんなこと。

繭花は亜由美の手を握ったまま、その場でじっと黙って動かなかった。
だんだんと気まずい空気が流れてくる。
「夕飯買ってくるから。鯉子見てて。」
まだ鯉子BOXの中にいるふたりにそう残すと、私はそこから逃げた。  


 



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