水 中 散 策 三:シェルター |
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ヘッドフォンからわずかに音が漏れてくる。 何の歌だかは聞き取れない。 きっと私の知らない、洋楽か何かだろう。 彼女が曲に合わせて体を揺らすので、私も知らず知らずのうちに指でリズムをとっていた。 「ちょっと、聞いてるの。」 その声に私は我に返る。 視線の先にいた少女はこちらを一瞬見て、またふいとそっぽを向いてしまった。 ヘッドフォンを耳に当て、椅子の脚元で小さくうずくまっている。 「亜由美、こっちおいで。」 繭花が呼ぶと、少女はテーブルの下をくぐっていそいそと移動した。 亜由美は私のよ、といわんばかりの表情である。 「呼び出したのそっちじゃない。」 ごめん、と私は小さく言った。 繭花は何でも知っている。 うんと小さい頃から、鯉子と私と一緒にいた。 母の兄の娘だから、私達の従姉。 もちろん、私の例の病のことも。 今回も鯉子の件で頼って呼び出したのだ。 「今回のは、治り、遅いみたいね。まだ鯉子が子供に見える?」 その一言から、やっぱり異常なのは私ひとりで、みんなの目には鯉子は正常に映っているのだと知った。 予想はついていた。 それでも彼女達を呼んでまで確かめたかったのは、風呂場で鯉子がおかしくなってから四日、私の白昼夢がこんなに長く続いたことなど今までなかったから。 繭花にはどんな風に見えてるの、と聞いてみた。 別に。 繭花はさほど興味もなさそうに、携帯電話のボタンを押しながら答える。 あ、でも。 メールを打つのをやめて、少しの間画面を眺めてから言った。 「一卵性双生児って面白いよね。テレビで特集されてたけど。 テレパシーみたいのがあって、表に出さない表現まで見透かされちゃうんだって。 あながち嘘じゃない気がするよ、あんた達見てると。」 見てて飽きないよ、と繭花は言う。 半分馬鹿にされたような、でもさして嫌な気分ではなかった。 昔は一挙一動が等しくて、それが鏡に映したみたいで面白かったのだという。 生まれてくるときの情報が全く同じだった私達だからこそ、感覚器官も同じつくりをしていて、同じ現象に同じように反応してしまう。 「片割れのあんたが鯉子について言うんなら、私は信じるかもよ。」 何だかんだ言っても世話好きで、結局は文句をいいながらも協力してくれるのだ。 「鯉子に何かあったの?」 「だから"幼児帰り"してるんだって。さっきから言ってんじゃん。」 話はまた振り出しに戻る。 「誕生日が近づいてるからかな。」 「え、どういう意味。」 「鯉子、十五になると死ぬから。」 え、と何秒か空白があった。 「何それ、聞いてないよ。何、病気持ち?」 「嘘。私こーんなちっちゃい時から毎日のように聞かされてたんだけど。 『私十五になる前に死ぬんだぁ』。 聞いたことあるでしょ。」 「ないよ!一度も!」 それじゃあこれも、鯉子、どうして私だけに。 「っていうか何その中途半端にメルヘンチックなの。眠り姫とか人魚姫とかでそんなのあったよね。」 「鯉子案外メルヘンチストだよ。わりと最近までシンデレラとかの童話、キュリー夫人みたいな偉人伝だと信じてたし。」 「初耳だよ。」 ふぅと、繭花がため息をついた。 私だけ。私にだけしか、教えなかったのだ、鯉子。 鯉子は別に怖がる風でもなく怯える風でもなく、ごく自然にありのままに、わたししぬの、とさらりと言ってのけた。 だから私もそうなんだ、とそれ以上考えたことはなかった。 元々鯉子と私はひとつで、どちらかは生まれてこないはずだったのだ。 五十パーセントの確率で自分は生きていないのだと思えば。 「ところで鯉子は。」 「今向こうの部屋でテレビ見せてるよ。」 「亜由美は。亜由美もいないんだけど。」 そう言えば。 いつの間にか私の指も、リズムを刻むのを止めている。 「亜由美って狭いとこ好きだったよね。」 鯉子の部屋の扉を開ける。 久しぶりにここに足を踏み入れた気がした。 用のあるとき以外はめったに入ったことがなかった。 「ほら、やっぱりここにいたよ亜由美。」 奥に置いてあるダンボールの箱の隙間から、ヘッドフォンのコードが見えていた。 その隙間、もとい箱の入り口は途中まで切り込みが入っていて、ドアのようにパカパカと開けることができる。 屋根はちょっと凝っていて、まっ平らではなくてまるで絵本に出てくる「赤い屋根のおうち」のよう。 ダンボールの破片を斜めに貼り合わせてある。 あれと同じだ。 子供用に通販でよく売っている、おもちゃの家。 ただ入るのは鯉子だから、あれよりだいぶ大きい。 「何これ。」 「ダンボールの家だよ、見ての通り。」 「何でこんなのが鯉子の部屋にあるのよ。」 「だから、鯉子が入るから。」 鯉子BOXって言うんだよ。 子供に戻ってからはまだ一度も使ってないみたいなんだけど。 「何考えてんの、あんたたち。」 繭花が眉をひそめた。 「これ手作りだよね。どっちが作ったの。」 「私。鯉子の方がうまいくせに、こういうの面倒くさがってやりたがらないから。」 不器用な私のわりには、結構良くできてるでしょう。 角の四隅はダンボールを二重にして、強度を上げたんだよ。 屋根のラインも絵本を見ながら切ったから、とっても綺麗。 「鯉子結構気に入ってたみたいだよ。珍しく、わざわざ私に頼みに来てさ。」 繭花の視線がどうにも嫌だった。 「鯉子が、私に、作ってって言ったんだ。」 私をあきらめた繭花が、鯉子BOXを覗いた。 大きめに作ったから、亜由美がいてもあとひとりくらいなら入れそうだ。 「中、これは何。何かのゲームとか。」 箱の中は一部を除き、ほとんどが真っ黒に塗りつぶされていた。 ごく一部だけ、四角く切り取るようにして肌の色が残っている。 「中入っていいよ。それはね、鯉子の"寿命カレンダー"。」 また繭花が変な顔をした。 「この箱は、鯉子だから。」 私は右手だけ中につっこんで、黒いマジックの渦を指でなぞった。 「もともとは線が引いてあったんだよ。縦と横にめいっぱい。 一日にひとつずつマスを塗ってってね、全部塗り尽くした日が鯉子の"命日"。」 かくれんぼをして、そのまま自分すら気づかずに消えてしまう。 そんな最後を迎えたかったのだと思う。 おかしい、と繭花がぽつりと言った。 狂ってる。 わかっている、そんなこと。 繭花は亜由美の手を握ったまま、その場でじっと黙って動かなかった。 だんだんと気まずい空気が流れてくる。 「夕飯買ってくるから。鯉子見てて。」 まだ鯉子BOXの中にいるふたりにそう残すと、私はそこから逃げた。 |
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