水 中 散 策 三:シェルター |
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幼稚園だったか小学校低学年だったか、そのくらい。 私が鯉子だった頃。 ノストラダムスという昔の人が、その年の夏に悪の大王が襲来して、人類は滅びるのだと予言したらしい。 今となっては馬鹿げた話だが、当時は異常なほどの力を持っていた。 後にも先にも、大人も子供もあそこまで夢中になった噂などないのではないか。 無責任な大人達は子供のことなど考えもしなかった。 面白半分で各メディアを通し、いかにも「ノストラダムスの予言は本物!」と思わせる情報を垂れ流した。 大王が来たらどうやって逃げたら良いか、NASAは襲来を予測できるか、自衛隊はどこまで役に立つか。 核兵器は? 一家に一台避難シェルターを。 自分の身は自分で。 ちなみに避難シェルターは本当に販売して、買った人も結構いたのだとか。 そして人類滅亡を疑わなくなっていく大人達の板ばさみで、子供もそれを信じざるをえない状況だった。 ニュースとバラエティ番組の区別もつかなかった頃、私達だって当然のようにそれを信じた。 その日が来たら、みんな死んでしまう。 学校で見た戦争の挿絵を思い出した。 でも、大丈夫なのだと、どこかの無責任な大人がまたひとつ、たわいもない嘘を広めた。 この世界はパラレルワールド。 いろんなところで線は繋がっていて、延々と流転しているから。 何百年か後、死んだ人間達の魂はキアズマと呼ばれる次元の交わりで、大王が来なかった世界にもう一度蘇る。 そしてあの時の「続きの全く同じ生活」を、何事もなかったかのように歩み始めるのだ。 だから今だけの辛抱。 またすぐ生まれてくる。 それこそ何の根拠もなかったが、ノストラダムスとの相乗効果で、それさえも多くの大人達が信じた。 人類は混乱していた。 病んでいたのだ。 そして、大王襲来の日はやって来る。 父はいつもと変わらぬ様子で会社へ出かけていった。 母は、死ぬときは一緒にいようという話に笑いながら頷いていたけれど。 結局は忘れていたのか頭にもなかったのか。 豚肉の特売文句につられ、スーパーへ行ってしまった。 母は最後の瞬間を豚と過ごすのか。 そんなことをぼんやり考えながら、本当は無性に寂しかった。 これから死んでしまうことと、そのときにみんなが傍にいてくれないことと。 「母さんは?」 一人で机の下に隠れて外を見ていると、後ろで声がした。 まだ私の半身で、互いに「私」自身だった幼き日の鯉子がいた。 「買い物行っちゃったぁ。」 自分でそう口に出した瞬間に、声が嗚咽に変わって涙が出た。 鯉子は何も言わずに机の下に潜り込んで来て、同じ目線から窓の外を見た。 「外、人、誰もいないね。」 鯉子が独り言のようにぽつりと言った。 「大王、もうすぐ来るからかな。 やっぱり家の中の方が安全だと、みんなも思ってるのかな。」 その日も特に暑かった。 今日と同じように警報が発令されていた。 日差しが強すぎる。 窓の内側からでもわかる。 コンクリートが流れてゆく。 思った。 人類が滅びるには相応しい日だ。 人類は恐竜みたいに滅びるのではなく、骨まで溶けて蒸発してしまうのだと。 跡形も残さず。 死は熱いものなのだ。 骨でさえ熱の前では無力だということ。 そして、骨さえ消してしまうその中で、唯一残るもの。 私達はこの数年後に見ることになる。 鯉子と私はお揃いの真っ白なワンピースを着て、 (白は熱と光を跳ね返すらしいから、原爆が落ちると言われた大阪では、最後の日に皆真っ白な服を着て記念撮影をしたのだ) 何ができるわけでもない小さな机の下で、四角くなってその瞬間を待った。 屋根がじりじりと焼けていく音と、アスファルトがドロリと溶ける感触。 近づいてくるカウントダウンの声。 時計の針は止まらない。 「最後の瞬間、何する。」 最後が近づく頃、鯉子がそう言った。 「何って。考えてる間に、終わっちゃうよ。」 私はまだあきらめもつかずにベソをかいていた。 「終わった後のこと考えよう。また生まれてくるときのこと。」 鯉子は私に言った。 「もしまた生まれてくるんなら、新しい私は死ぬのなんて怖くない。」 鯉子がそう言ったのがやけに印象的で、私は一瞬カウントダウンを止めてしまった。 鯉子が側にいることで、私は少なからず安心していた。 たとえ自分が予言通り死んでも、もう片方の自分は生きているような錯覚がしたのだ。 おそらく鯉子もそれは同じ。 奇妙な共同感が、鯉子と私の間に芽生えていた。 鯉子が隣にいて、私にそう言ったから。 私はプラナリアの生命力に思いを馳せつつ、生きることをあきらめられたのだ。 もちろん、人類は滅亡しなかった。 |
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