水 中 散 策

三:シェルター



5
「お腹すいたね。」
何となく話す話題も見つからず、大して意味のない話題を持ちかける。
鮎水は相変わらずニコニコと私の話を聞いているだけで、おとなしくじっと側にいた。
目の端で鮎水の長い髪が揺れる。
一言、二言、ぽつりぽつりと言葉が出てきた。
この子の前では私は、どんなときよりも正直になれる。  

最近気象が変だということ。
今、繭花達が遊びにきていること。
そして、鯉子が子供に帰ったこと。
例の男性が怪訝な顔をしてこちらを見たけれど、気にはしない。
この豪雨が私達の会話も声も、全て無かったことにしてくれる。

全てが、私だけを残して理屈を保ってしまっているから。
私はひとり、まるで水を掻き分けるように感触のない現実を前にして、立ちつくすしかないのだ。
みんなは笑う。
もしくは、奇妙な目つきで見下ろす。
しかし、そんなマジョリティの意見など。
私の脳世界では確かに、鮎水は存在しているのだ。  





ほんの数分。
カップメンができるかというような時間の間に雲は走り去り、今度は駐車場の反対側に音が移っていった。
私達が入って来た方の出口では、もうパラパラとしか降っていない。
空はとうに明るかった。

「家、こっち?」
「そうです。」
「そう、それじゃもう大丈夫だね。もう過ぎたから。」
子供も泣き止んで、あの家族も家に帰る準備をしていた。
私はもう一度軽く会釈をして、明るい方の出口から外へ出た。
後ろの方で豪雨の音がする。
でも、家の方にはもう降らない。  

鯉子が幼児帰りを始めてから、初めて一人きりで外へ出た。
家に置いてきた子供の鯉子が頭をよぎった。
ノストラダムス、鯉子が隠れた机の下。
あれもまた、鯉子BOXだったのか。
死へのカウントダウンだ。
いつでも箱の中に閉じこもって、息を潜めて数えながら待つ。
どうしているだろうか。
遊び疲れて寝ているだろうか。

「すごかったねぇ、雨。鮎水もあんなの初めてだったでしょ。今年になってからだもんね。」
道路は水が溢れてプールのような状態だった。
歩けるところなどなかったから、低い塀の上を渡っていく。
私の後にちゃんとついてくる鮎水。
もうすぐ迎えのエイがやってくる。

「鮎水は偉かったね、泣かないで。ってもうそんな年じゃないか。」
ふと、気になって足を止めた。
私にぴったりくっついてきた鮎水も、一緒に立ち止まる。
「鮎水。」
駐車場の中はゆるい坂になっていたからわからなかったけれど。
目線が、いつもと何だか違う。
「そんなに背、高かったっけ。」

鮎水はまたいつものように、何も言わずにニコニコしたまま、エイの背中に飛び乗って消えた。
 
 


 



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