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水 中 散 策

四:夜想列車



3
気が付くと私は鯉子と並んで電車の中にいた。
小さな電車だ。
身を乗り出して左右を確認してみたが、人が乗っている気配すらない。
横に長い座席に、乗客は私達だけである。  

ガタンゴトン、カタカナでそう綴ったような濁った音がして、けれど音からは想像もつかないほど軽やかに、電車は線路を滑っていく。
まるで車輪と線路の間に何かが、水のような液体があって、摩擦を軽減しているかのようだった。
そう思った瞬間、重苦しい音はシャーッという水しぶきの音に変わった。
やっぱり。
この電車は水の上を走っているのだ。
私は納得して、妙に安心した。  

小さな鯉子は私の肩に寄りかかるようにして、眠るでもなく起きるでもなく、ぼうとしていた。
すっかり疲れている様子だった。
「ゆうえんち、楽しかったね。」  
おとなしかった鯉子がぽつりとつぶやいた。
そうだ、遊園地。遊園地で閉園ギリギリまで遊んでいたのだ。
だからこの電車には誰も乗っていない。

窓の外も真っ暗だった。
しかしそれは闇の黒さではなく、怖いくらいの青い空と夜を足して二で割ったような、深い深い群青色。
そう、夜というよりはむしろ海の底のような暗さだ。
深い海の中では青い光だけが生き残る。
そしてその命さえもだんだんと闇に溶け、消えてしまう瀬戸際のような、ぎりぎりの群青。  

外はそれほどまで暗く、電車の中に明かりなどない。
それなのに、外からはゆらゆらとヘッドライトのような光が差し込み、反対側の座席にゆがんだ縞模様を映し出す。
そして車内は溢れんばかりの白い光に満たされ、ぼやけた青い情景が映し出される。
鯉子と私は並んで、ただスクリーンを滑る映画のように眺めていた。

「あれは何?」
子供の鯉子が頭を私の肩にもたれかけたまま、天井を指さした。
外からの光が、揺れる波を天井に映し出している。
ゆらり。ゆらり。縄目模様とも格子模様とも呼びがたいその不規則な図形は、できては消えてを幾度となく繰り返していく。
何度でも生みだし、何度でも殺す。
外に似合わぬペールブルーが、満ちては欠けていく。

ねぇ。子供の鯉子が尋ねた。
「死んだらどこに還るの。空?土?海?」
「……家に帰るんだよ、これから。」

視界が揺れる。揺れていく。
ゆらりゆらりと波は鼓動を刻む。
シュワッという音をさせ、車輪が水をはねていく。

「あれは何。蜃気楼?砂嵐?……みなも?」
鯉子はさっき上げた手を下げることなく、再度私に問いかける。
「あれはね、電車が揺れているから。電車で、家に帰るんだよ。」
そう言って、私は深く深呼吸をして目をつむった。

ちょうどその時、アナウンスがあって電車が駅に止まった。
駅名は聞き取れなかったが、おもむろに開くドアーに目をやる。
同時に水が流れ込んできた。
あっと声を上げる間もなく、車内は天井まで水に浸かる。
水面の染みは車内の壁や座席いっぱいに広がり、挙げ句の果てには私の服や手足まで浸食していった。
私はクロールをするように両手でかきまわし、この滑らかな硬度の低い水を何とかして掴もうとする。  

何だこれは。
思わず口にしようとしたけど、出てくるのはやたらと耳に響く、くぐもったうめき声だけだ。
正面を見ると、そこにはあの巨エイが堂々と横たわり揺れている。
反射的に足下を見た。
電車の床には何もなく、その下にあったのも線路などではなかった。
高層ビルの束だった。
上空写真を切り取ったような景色だった。

「帰ろっか。」
巨エイの背中から、また少し大人びた顔つきになった鮎水が現れた。
どこへ?
何に?
しかしそれすらわからないのに、私は頷いていた。
うん、帰ろう、帰りたい。
あぶくにしかならない言葉を吐きながら、私は何度もそう繰り返していた。  


 



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