水 中 散 策

五:黒豆にカルシウム



1
「ここどこ?」  
窓の外は一面畑、そして向日葵畑。
新宿に向かっていたはずなのに、景色はどんどん都会から逃げていく。
バスはぐるりと遠回り、ビル群を避けるようにして目的地の遊園地まで転がっていく。
「泣きたくなるよな。」
そう言うほどに、外は向日葵畑。
新宿の影と呼ばれていた。
こんなにも広い空に、あまりにも似つかわしくない名前である。  

商店街は廃墟になった。
遊園地についていた街の名前すら、もうここにはない。
跡形もなく滅びた天空都市のように、道は畑を突き抜けていく。
ビルはあんなにも高く成長して、私達も大きくなったのに。
野生の向日葵が大きすぎてまだ背を抜かせない。
ビルと向日葵が競い合うようにして、ここにあった養分を根こそぎ吸い取った。

こんなにも澄んだ夏空が誘う。
ここにあるのは、彼らが残していった残骸。
さっちゃんが、右手をすり抜けていく。
鮎水が左手を突き抜けていく。
ここは幻なのだ。
もうこれ以上存在していてはいけない。

「で、どうして遊園地なの。図書館って書いてあったのにまた。」
「うん、なんとなく。鯉子が、前から行きたいって言ってたから、そこしかなさそうだって。」
「そんなことだろうと思ってた。あんたらしいよ。
……でも、外れたらお終いなんでしょ。」
繭花はぷいと窓の外を見た。
「一卵性双生児のことは、私にはわからないよ。双子脳っていうのか。
別の部屋に閉じ込めたって、同じことしてるっていうし。何かあるんだねきっと。
本当は、一人の人間になるはずだったんだからだから。」



イチランセイソウセイジ。
この世で一番自分と等しいいきもの。
誰かの無作為なイタズラが、私達をふたつに分けた。
鯉子だったかもしれないし、私だったかもしれない。
"オリジナル"はどっちになるはずだったのかはわからないが、不思議と卵は半分こになって、鯉子と私は二人の人間として生まれた。

本当は鯉子一人が生まれるはずだったのなら、私は鯉子に渡せるものも渡せず、彼女のお荷物でい続けるのだろうか。
逆に私の方が生まれるはずだったというなら、鯉子は何なのだろう。
人並みに生きていけるよう、神様が私に持たせてくれたお土産だろうか。
でも、今日から「私」は世界中で私だけになる。
これで鯉子が死んだのならば、オリジナルは私だったと、そう解釈しても良いのだろうか。  

寂しいのではない。
ただ、私がオリジナルで鯉子が天からの産物だったとしても、鯉子は私のコピーとして確かに生きたのだから、私は彼女に渡さなくてはならないものがきっとある。  



バスはゆっくりと、でも押し潰すように、向日葵畑を突き抜けていく。
停留所で一息つき、小粒の人間を小さじ少々飲み込むと、また頭を低くして地平線を目指す。
こんな畑道にも一人前に信号があった。
道の端から生えた棒には、目玉が怒って赤く光る。
そうするとバスはまるで青い海を求めるかのように、体を震えさせて周りからエネルギーを吸収するのだ。  

エンジンが切れると、一瞬にして内部は水で満たされた。
窓とドアの隙間からゆったりとした水が流れ込み、乗客はうねりに飲まれて溶けて失せる。
そこは水の中、私のテリトリー。

私達三人は一番後ろの席を陣取って、日の光をさんさんと浴びていた。
「亜由美はいいの、窓側じゃなくって。お外見れるよ。」
小さな亜由美は真正面を見つめたまま、軽く頷いた。
相変わらずヘッドフォンをしたままだったが、ちゃんと声は届いているらしい。
「亜由美はそれで良いんだよ、全部聞こえてるから。
目隠ししたって、耳で全部わかるんだよ。」
遠くの線路に電車が走っているのが見えた。
新宿を通る電車だ。
「ガタンゴトン、が通った。」
亜由美は口を少し開け、小さく声に出しながら右手を左右に動かし、その様子を私達に伝えた。
「単語を教えてあげなよ。学校で困るんじゃないの。」

夏を迎えた太陽が真上から小さなバスを照りつける。
強い日差しは焦がすかのようにバスの中にまで進入してきていた。
「この感じ。さっちゃんのこと、思い出しちゃった。」
一番窓際に座っていた繭花が、さっきの質問には答えずに言った。
「体の左半分だけが熱いの。」
「うん。」
私は思い出したように相づちを打つ。
「亜由美は、いいんだよそのままで。そのために私がついてる。」
繭花は景色から目をそらさずに言った。


 



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