水 中 散 策

五:黒豆にカルシウム



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さっちゃんが"幼児帰り"をはじめてから三ヶ月後。
短かった。
最後には大好きなバナナさえ、半分しか食べられなくなっていたさっちゃん。
花に囲まれた寝顔を見て、これは誰のための式なのかとふと考えてしまった。
もちろん「幸子サン」の式であることに間違いはないのだが。
それならさっちゃんとは一体誰だったのか。
別人であるというのなら、本当の「命日」は今日で良いのか。
何故か納得がいかなかった。

さっちゃんちの縁側から棺桶は出て、私達はその後をぞろぞろと付いていった。
冬の寒い日だった。
なのに日差しだけはやたらと強くて、黒服集団を馬鹿にしているかのようだった。

しばらく雨が続いていた後で、久しぶりに青い空を見た。
ビルも電線も、空には何もない。
吸い込まれそう、と、何かの小説で表現されていた気がする。
こういう空を指していたのだと思う。
でも私はむしろ、空から突き放されているような感覚を覚えた。
吸い込まれるのではなくて、吐き出されているのだ。
足は地面に張り付いて沈んでいくのに、空だけはなおも上昇を続けて遠ざかっていく。
いずれ地球を飛び出してしまうのではないかと。
風は全部、空を地球から押し出すために吹いているのではないかと思うのだ。

先に向かった繭花達はロビーの黒いソファで待機していた。
ソファと言っても立派なものではなく、ただ椅子と呼ぶには背もたれが厚すぎるというだけの話である。
床はまるで病院みたいに、ツルツルと光っていた。
棺桶はこういう風にして迎えられるのだ。

「やっぱ目立つね、鯉子は。」
繭花がこそっとささやく。
制服だから仕方ないのだけれど、赤いスカートを履いていたのは鯉子だけだった。
他は皆見事に黒装束。
亜由美は黒いワンピースを着せられていたし、私も繭花も似たようなセーラー服だった。
あの制服、着てみたいと思ったことは少なくない。
繭花の家の方でも人気が高いという有名校である。

しばらく待つと、さっちゃんが焼き終わったとアナウンスが入った。
向かったのは見事なまでに無機質な、コンクリートの床と白い壁。
アルマイト食器にも似たベッドに、かつてさっちゃんであったものは横たわっていた。
真っ白のとぎれとぎれになったさっちゃん。
焼けたばかりのさっちゃんは、離れていても顔の左半分が火照るほどに熱かった。

さっちゃんの骨だと言って見せられたものは、理科室の標本とはだいぶかけ離れていた。
特に足の方などはほとんど形が残っていない。
砕けて粉末状になった白い骨と、十センチ程度の塊が点在しているだけである。
上の方はまだましだったが、それでも「ズガイコツ」にあのされこうべの面影はなかった。

ふたり一組で長い箸を使い、骨を拾っては骨壺に落としていく。
私は欲張って一番長いのを掴もうとして、小さな欠片を落としてしまった。
床に当たると砕けて粉になった。
まるでラムネのように見えた骨は、案外重かった。

さっちゃんの骨は次々と拾われていった。
自分の肌が焦げる匂いをかぎながらも、遠くからじっと見つめる。
ついにズガイコツが拾われた。

「脳だよ。」  
その時、鯉子がこっそりと言った。
「え、どれ。」
私は思わず身を乗り出して、今まさに箸にかかっているズガイコツを見た。
後頭部に当たるであろう骨、カーブを描いたその内側に、黒豆のような物体がふたつ並んでこびりついていた。
「あの、黒いのが。」
鯉子は何も答えなかったが、私は繭花をつついて彼女にも知らせた。
息を飲んでまじまじと見入った。

焼かれてすっかり黒こげになり、縮んでしまった。
しかし形はかろうじて判断できる。
楕円を横にふたつ繋げたあの形は、教科書の写真から想像がついた。
あれが脳。
人の脳。
こんなところで。

人間の営みの中枢を見た。
初めて見るヒトの脳は、雄々しくたくましくそこに在った。  

しまいに係の男がホウキとチリトリで粉末の骨をかき集め、床に散らばった粉も拾った。
そうしてさっちゃんの全てを骨壺の中にしまい込んだ。

これでも骨は丈夫で、焼かれても残っている方だったらしい。
小さな骨壺には私が拾った骨は入りきらず、砕くことになった。
ちょうど近くにいた鯉子が、箸を突き刺すようにして壺の中に押し込んだ。

カシ、キシ、カシャッ、キシャキシッ。

乾いた、軋んだ音が響く。
奥歯がうずくようなむずがゆい音がし、耳の後ろに鳥肌が立つ。
口の中いっぱいに塩っぽい味が広がった。
カルシウム。
その名の通りの単語が頭の中に浮かんだ。
これはカルシウムなのだ。
砕いているのは私ではない。
けれど、まるで自分が箸を突き刺しているかのような感覚が手のひらに染みわたって、汗ばんだ。
カルシウム。
これか。
これが人間の最後。
人間はタンパク質の皮を被っているだけで、本当はカルシウムでできていたのだ。
私は骨を砕く鯉子の姿に、黄身の中から殻の破片を拾う自分の姿を重ねた。

ズガイコツと卵の殻というのは、実に良く似ていると思う。
大事な中身がどろりと流れ出さないように、堅い殻で閉じこめて。
もしも死体をヒトと呼ぶならば、脳の詰まったズガイコツはそれ単独で一個の人間であり、卵もまた一個の生命体である。
例えばそれがはしゃいだ後の微熱であるように、何事もなく受け入れて良い事実のはずであった。

結局人は「簡潔」に収れんする。
余分な要素を排除して極みに至る。
骨は摩耗し、背は縮む。
体はより小さくコンパクトに。
そうして最後、白くてかる卵に、一個のカルシウムに戻るのだ。
ヒトはタンパク質さえ捨てる。
目指すは「シンプル」なのである。  

だが驚いたことに、脳は残るのだ。
そんな状態になってすらも、黒く萎縮し原型をとどめなくても、まだ存在している。
裏側にへばりつく、白の中の黒一点。
その小さな塊がカルシウムの中の唯一の"有機物"。
ヒトが生きてきた名残である。

そうして骨が一通り壺の中に壺に収まると、係の男は 「喉仏です。」 と言って小さなさっちゃんの欠片を取り出し、一番上に載せて蓋を閉めた。


 



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