水 中 散 策

五:黒豆にカルシウム



3
控え室に戻った繭花が、ひっそりと私に教えてくれたことがある。  
例えば目というのは右と左、両方ついていて一人前。
カメラを二台並べて撮ったなら写真は二枚できるのに、何故目はふたつあってもひとつしか見えないのか。

答えは、そこに脳が媒介しているからだ。
脳が情報をねじ曲げているのである。
もっと驚くのは、網膜には物体は逆さまに映っているという事実だ。
脳は目に映っているものを無視し、わざわざもっともらしいものに変換して私達に「見せて」いる。
結局皆、各々の脳が下した情報に惑わされているだけなのだ。
全ての情報は脳の支配下にある。  

だってそもそも、自己と非自己を区別するのに、何が必要か。
遺伝子ではない。
それなら、鯉子は私である。
つまりヒトとは脳なのだ。
自己と非自己を区別するのも、全てはこの脳なのだ。
だからきっと、その意識がくじけてしまったら、私も鯉子も完全に同一になってしまう。  

ゴウウッ、キヒーンと音がして、真上上空を飛行機が通った。
気が付くと私は窓を飛び越し、向日葵畑に立っていた。
頭をかすめるほど低く飛ぶ飛行機を下から眺める。
エイにも似たその姿は徐々に数を増し、鉄の塊は大群をなして新宿の上空を取り巻いた。
新宿大空襲かと思った。  

集まってきている。
確かに、数を増やしている。
この大群は一体何をやらかすつもりなのだ。
確実に新宿を取り巻き、そして一匹ずつ遊園地の方へ移動していく。
飛行機は当然のように、良く見ればエイだった。
手を伸ばせば届きそうなほど低く飛び、新宿を経由して遊園地へ向かう。

「お前達。どこに行くの、何するつもりなの。」
声は届かず、空は次第に暗くなっていく。
私は追いかけようとして、自分が裸足であることに気付いた。
そんなことはどうでも良かったのだが、拭えない違和感が気になって足下を見た。
大きすぎる向日葵がひしめいている。
その葉の陰から、わずかに動くものが見えた。
白い手首が地面から生え、私の左足を掴んでいた。





「次は終点、遊園地前。」
車内アナウンスで我に返ると、私はきちんと靴を履いて、一番後ろの席に座っていた。


 



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