水 中 散 策

六:蝉と白昼夢



3
すると突然、私と同じくらいの年の女の子が現れた。
不思議と私はすぐに落ち着いた。

女の子はニコニコ笑って、私の回り始めた。
乳母車を覗き込んでいる横顔は鯉子に良く似ていた。

だぁれ、私が聞くと、
「私?私は、この、赤ちゃん。」
と変なことを言うのだ。
この子はちょっと頭が弱い子だ、と思った。
「私のこと、変な子だと思ったでしょう。失礼ねっ。」
女の子はちょっとふくれてみせた。
「でも、あんたの方が、ずっと変な子じゃない。
これ、誘拐なんだよ。何する気だったの。」
そう言われてまた怖くなった。
「私、どうしたら良い。」
「別に。どうもしなくていいんじゃない。私、あなたの妹だもの。
お姉さんが妹を誘拐したって、ロウヤになんて入れられないよ。」
鯉子に似た女の子は、また変なことを言った。

「妹?」
何言ってんの、あんた、と言ってみたけど、「だってそうでしょ?」と返され、何故か返事ができなかった。  

女の子は口やかましく私の世話を焼いた。
内容などとうに忘れたが、ひっきりなしにしゃべっては私を笑わせた。
いつの間にか、私は事件を起こしたことも罪の意識も忘れ、それどころかこの子のことを遙か昔から知っていたような錯覚に陥った。
しばしの間、その子と共有する時間を楽しんだ。

そして、最後になって女の子が帰るというときになると、私は初めてこう聞いたのだ。
「名前、なんていうの。」

考えてみれば、おかしな質問である。
彼女は私の妹で、生まれたときから知っていたはずなのだ。
しかしそんなすっとんきょうな質問でも、女の子は首を傾げて答えた。

「アユミ。」  





それからようやくして、母が私を見つけに来た。
赤ん坊の母親も一緒だった。
鯉子は私が迷子になったのだと思って、しばらくあたりを探していたらしい。
私よりも、鯉子が泣いていた。  

所詮は子供のいたずら。
悪気はなかったと、この事件は大した騒ぎにならずに済んだ。
赤ん坊の母親も相当反省していたようだった。
乳母車を放置したままタバコを買いに行っていたのだ。
家族にばれても困るからと、この話は私達の中だけで終わらせた。

「どうしてあんなことしたの。」
お決まりの文句に、私は「だって私の妹だもん。」とわけのわからないことを言っていた。

その日の帰りに私は微熱を出し、軽い日射病にかかっていたことがわかった。
そのおかげで誘拐事件もへんてこな発言も、全ては日射病のせいだということにされた。

しかし、その日を境にアユミは私の前に現れるようになった。





「あの林。人通りがなくて危ないからって、切られてコンクリートにされちゃった。
でも新たに何か作ろうともしないから、私が観覧車作った。
こうしてゆらゆらするの、ゆりかごみたいでしょ。」
鮎水は窓から出した片足を鉄骨に引っかけて、ゴンドラをゆすった。
小槌のように、赤い錆がぼろぼろと落下する。

「ごめんね鮎水。」
私は言った。
「鮎水は、鯉子なんでしょ。でも本物じゃない、私が作ったニセモノの鯉子。」  

半分は、日射病のせい。でももう半分は、自身のせい。
必死で「鯉子の代理」を探した。
欲しかったもの、手に入れたかったもの。
全部を詰め込んで鮎水を作り上げた。
私だけの妹だ。もうどこにも行かない。
繭花の所有する亜由美がそうであったように、私にも「妹」が必要だったのだ。

「もういいよ。私、鮎水なしでもやってけるから。」
鮎水がおとなしく従うはずがなかった。
「鮎水、ここ大切なの。泣いちゃう。」
そう子供っぽく猫なで声を出してみたけれど、私が首を縦にふらないとわかると、ゴンドラから飛び降りて逃げた。
 


 



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