水 中 散 策

六:蝉と白昼夢



4
「嘘つき!弱虫!」
泣きながら走っていく鮎水の後ろ姿が、風船のようにしぼみ、小さくなっていく。
所詮は子供の足だ。
空気の抜けた鮎水に先ほどのような身軽さはなく、私でも簡単に追いつけそうだった。
しかしやめた。
しぼんでいく鮎水の後ろ姿が、あまりにも惨めだったのだ。

成長しているかのように見えたのは、ただのハリボテだった。
鮎水は私が欲しがった「昔の鯉子」のまま、大きくなってなどいない。
私の理想を背負い込んだまま、身動きさえとれなかったのだ。
かわいそうな鮎水。

"わかってくれるよね"
そう尋ねれば、いつだって鮎水は笑って頷いてくれた。
だから鮎水の髪は長いのだ。
まだ互いに自分だった頃の鯉子が私の中でまだ息づいて、いや私が今なお求め続けているだけなのだ。

「鯉子だって弱虫じゃない。私のこと、自分のコピーだとか思ってるから、怖くなって逃げた。
チキン野郎!」

だまし絵を思い出した。
一枚の絵なのに見る角度によって、もしくは視点を変えることによって、何通りもの絵が浮き出る。
カーテンを開け閉めすれば光は加減され、後ろ姿に鯉子の絵が重なっては消えていく。
鯉子。

逃げ場を失った鯉子も全く別の場所へ辿り着いていた。
それこそが鯉子BOXだったのだ。
あの小さな箱の中で、鯉子のエネルギーは内へ内へと向かっていった。




鮎水は逃げるのをやめた。
もう出会った頃の子供の身長しかなかった。
「私もう、一人でいい。一人でいいよ。
鮎水もいらない。コピーなんかなくていい。強くなるよ。」

私の目の前で、鮎水がしょぼくれたようにつっ立っていた。
「鮎水が、一人で帰って。」
そう言うと、鮎水はもう一度弱虫、と吐いて、それがあぶくになった。

ぶくぶくと上るとはじけ、水が目に入った。
視界がぼやけて、鮎水の背後がぽつりぽつりと光の塊になっていく。  

鮎水は最後まで恨めしそうな顔をしていた。
つま先まで泡になって消えても、破片は私の周りを飛ぶのをやめなかった。
ぱちん、ぱちんと、泡はどれも私の目の前ではじけた。
その度に生ぬるい水が目に飛び込んできて、しばらくの間私は目をつむった。  

泡の音が消え、もう良いかと思って目を開けた。
しかし、目の前には光の点がふわふわと浮いているだけで、何も見えない。
もう一度目を閉じてこすってみた。
景色は透き通り、私は林の外にいることを知った。
光の正体は神社の縁日だった。  





いきなり後ろから腕を掴まれた。
亜由美が立っていた。

ここにいたのとか、探したんだよとか、他に相応しい言葉は山ほどあった。
でも私は、
「焼けたねぇ。」
と、そう最初に言葉をかけた。
今までほとんど外に出なかったのだろう。
この数時間ですっかり色の変わった肌を眺めた。  

ゴミを捨てる場所が見つからなかったのだろうか。
手には何かの棒やら、プラスチック容器やら、いろんなものが握られていた。
これは相当遊んだなと、ちょっとぞくっとした。

「お金はどうしたの。」
「これ、ぽっけの中入ってた紙の、残り。」
亜由美はそう言って、ふくらんだポケットの中から五千円札を含んだ二枚の紙幣、それと小銭をざらざら取り出した。
十円玉を何枚か落とし、慌てて拾い集める。
一万円札をくずしたのだ。
繭花が心配して持たせていた分だろうけれど。

「いっぱい遊んだね。満足した?」
亜由美はまだ物足りなさそうだったが、とりあえず頷いた。
じゃあ、戻ろっか。
観覧車乗ろう。
そう言って、亜由美の手を引いて巨大観覧車の前へ戻った。
 


 



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