水 中 散 策 六:蝉と白昼夢 |
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「嘘つき!弱虫!」 泣きながら走っていく鮎水の後ろ姿が、風船のようにしぼみ、小さくなっていく。 所詮は子供の足だ。 空気の抜けた鮎水に先ほどのような身軽さはなく、私でも簡単に追いつけそうだった。 しかしやめた。 しぼんでいく鮎水の後ろ姿が、あまりにも惨めだったのだ。 成長しているかのように見えたのは、ただのハリボテだった。 鮎水は私が欲しがった「昔の鯉子」のまま、大きくなってなどいない。 私の理想を背負い込んだまま、身動きさえとれなかったのだ。 かわいそうな鮎水。 "わかってくれるよね" そう尋ねれば、いつだって鮎水は笑って頷いてくれた。 だから鮎水の髪は長いのだ。 まだ互いに自分だった頃の鯉子が私の中でまだ息づいて、いや私が今なお求め続けているだけなのだ。 「鯉子だって弱虫じゃない。私のこと、自分のコピーだとか思ってるから、怖くなって逃げた。 チキン野郎!」 だまし絵を思い出した。 一枚の絵なのに見る角度によって、もしくは視点を変えることによって、何通りもの絵が浮き出る。 カーテンを開け閉めすれば光は加減され、後ろ姿に鯉子の絵が重なっては消えていく。 鯉子。 逃げ場を失った鯉子も全く別の場所へ辿り着いていた。 それこそが鯉子BOXだったのだ。 あの小さな箱の中で、鯉子のエネルギーは内へ内へと向かっていった。 鮎水は逃げるのをやめた。 もう出会った頃の子供の身長しかなかった。 「私もう、一人でいい。一人でいいよ。 鮎水もいらない。コピーなんかなくていい。強くなるよ。」 私の目の前で、鮎水がしょぼくれたようにつっ立っていた。 「鮎水が、一人で帰って。」 そう言うと、鮎水はもう一度弱虫、と吐いて、それがあぶくになった。 ぶくぶくと上るとはじけ、水が目に入った。 視界がぼやけて、鮎水の背後がぽつりぽつりと光の塊になっていく。 鮎水は最後まで恨めしそうな顔をしていた。 つま先まで泡になって消えても、破片は私の周りを飛ぶのをやめなかった。 ぱちん、ぱちんと、泡はどれも私の目の前ではじけた。 その度に生ぬるい水が目に飛び込んできて、しばらくの間私は目をつむった。 泡の音が消え、もう良いかと思って目を開けた。 しかし、目の前には光の点がふわふわと浮いているだけで、何も見えない。 もう一度目を閉じてこすってみた。 景色は透き通り、私は林の外にいることを知った。 光の正体は神社の縁日だった。 いきなり後ろから腕を掴まれた。 亜由美が立っていた。 ここにいたのとか、探したんだよとか、他に相応しい言葉は山ほどあった。 でも私は、 「焼けたねぇ。」 と、そう最初に言葉をかけた。 今までほとんど外に出なかったのだろう。 この数時間ですっかり色の変わった肌を眺めた。 ゴミを捨てる場所が見つからなかったのだろうか。 手には何かの棒やら、プラスチック容器やら、いろんなものが握られていた。 これは相当遊んだなと、ちょっとぞくっとした。 「お金はどうしたの。」 「これ、ぽっけの中入ってた紙の、残り。」 亜由美はそう言って、ふくらんだポケットの中から五千円札を含んだ二枚の紙幣、それと小銭をざらざら取り出した。 十円玉を何枚か落とし、慌てて拾い集める。 一万円札をくずしたのだ。 繭花が心配して持たせていた分だろうけれど。 「いっぱい遊んだね。満足した?」 亜由美はまだ物足りなさそうだったが、とりあえず頷いた。 じゃあ、戻ろっか。 観覧車乗ろう。 そう言って、亜由美の手を引いて巨大観覧車の前へ戻った。 |
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