水 中 散 策

七:ヘヴン



1
繭花は私が亜由美を捜しに行っている間、相当たくさんの人に捜索を頼んでいたらしい。
ぞろぞろと集まって来た人達に、片端から「見つかりました」と頭を下げていた。
右手は亜由美の手を握って、決して離さなかった。  

亜由美はまるで関係のないという涼しい顔をし、それを見渡していた。
小銭で膨らんだポケットを叩いて遊んでいる。
パンパンと小気味好い音が響く。
それが楽しいらしく、自由な右手で幾度となく繰り返した。
そのうち音の間隔が固定していき、いつしか一定のリズムを刻むようになっていた。

「あ、亜由美ちゃんだ。バイバーイ。」
すぐ近くを親子連れが通り、女の子が亜由美に手を振った。
亜由美もそのときばかりは右手をポケットから外し、振り返す。
両親らしき人は私と目が合うと、軽く会釈をしていった。

「誰、こんなところで。近所の子じゃないよね。」
そう尋ねると、
「お祭でずっと一緒にいた子。」
亜由美は答えた。
「それじゃ、ここで初めて会った子なの。」
繭花が声のトーンを高めた。
「初めて会って仲良くなったの。自分の名前も言えたの。」
繭花がしつこく聞くと、亜由美はもう興味がないという風に、そっぽを向いてしまった。  





日は完全に落ちていた。
客もまばらになり、観覧車には並ぶ必要もなくなっている。
私達はすぐ横のベンチに並んで腰掛け、ゴンドラに乗り込んでいく客を一人一人目で追った。  

鯉子を探した。
まだ見つけられていない。
もしおかしいのは私だけで、本当に図書館に行ったのならば。
今頃はとっくに家に着き、私達の帰りを待っているに違いない。
亜由美が足をばたつかせる。
「まだ現れない。」
繭花も疲れてうんざりしている。  

前を子供が通った。
「早くしないと、花火見れなくなっちゃうよ」と父親を急かす。
お祭帰りなのだろう、右手には綿菓子の袋。
水色のビニールにはアイアンマンが大きく印刷されていた。  



アイアンマンは国民的な人気アニメのヒーローだ。
鉄くずを集めて作ったロボットが命を得て、街の人を守るヒーローになった。
子供なら誰でも知っている。
もちろん私だって、鯉子だって。

「たすけてアイアンマーン。」
そう一声叫べばどこからともなくアイアンマンは現れ、悪者をやっつけてくれる。
相手がいじめっ子だろうが秘密結社のボスだろうが、アイアンマンはいつでも正義の味方だ。
鉄の体だから、痛みも感じない。
みんなの犠牲になって悪を断つ。
それが彼の仕事。

そして当然、アイアンマンは死なない。
年を取ることもない。
助けた子供達が少しずつ成長していく中で、アイアンマンはいつも同じ笑顔でいるのだ。  

アイアンマンはみんなのヒーローである。
それと同時に、アイアンマンは誰の何でもない。
彼は今日も変わらぬ鉄の笑顔で、みんなの笑顔のために戦い続ける。

私も大好きだった。
とっても強いアイアンマンは、いつだって子供の味方だ。
小さい頃は、アイアンマンになりたいと思ったこともあった。
強くなりたいと思ったのだ。



「アイアンマン ぼくの名前 ゆうきとつよさが つまってる」
歌詞をワンフレーズずつ思い出しながら、声に出していった。
誰もが知っていた、有名すぎるテーマソング。
しかし、悲しいかな、この歌を口ずさめる大人はきっと一握りもいない。
どんな男女も、首相もホームレスも殺人犯も、子供の頃には皆共有した思い出なのに。

「うれしいんだ 今なら伝えられるよ 生きる意味 戦う意味」  
ゆっくりと歌詞をなぞっていく。
誰か、鯉子にこの歌を教えてやらなかったのか。

人間がかくも変わっていく、分かれていく、その原点。
分岐点ならここにある。
誰もがみな「同じ」に最も近かった、記憶に残る一番古い時間だ。
きっと答えはそこにあるのに。

「また飲み物買ってこようか。お茶でいい?」
そう言って立ち上がった繭花の頭の後ろに、見慣れた人影を見かけた。
私が憧れた長い黒髪。
私と同じ顔をしたあの影を。
見間違うはずもない。

「鯉子。」
私は半分くぐもった声で言った。
息を吐いたら良いのか、飲み込んだら良いのか、わからなかった。

「嘘、どこ。」
「今観覧車に乗った。八番のゴンドラ。」

観覧車は絶えず動きながら客を飲み込んでいたから、鯉子を乗せたゴンドラももう上昇を始めていた。
行こう、そう言って繭花は亜由美の手を取り、私は走って四つ後のゴンドラに乗り込んだ。  

考えて見れば、高いお金を出して観覧車のチケットを買う必要も、乗る必要もなかった。
ただ観覧車の前で待っていて、戻ってきたゴンドラを掴まえれば良い話だ。
その方がよっぽど確実で合理的である。

そうしなかった理由のひとつは、亜由美が退屈して泣き出さないよう「観覧車に乗ろう」と約束してしまったから。
ひとつは、私達自身も廃園となっていく懐かしい遊園地で遊びたかったから。
そしてもうひとつは。

「だからあんたはいつまでも、鯉子の後ばっかり追いかけてんだよ。」

さっちゃんがそう言い、また消えていった。

鯉子。
鯉子。
私はヒナが親鳥に対してそうするように、ただ鯉子の背中を追った。  


 



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