水 中 散 策

七:ヘヴン



3
少しだけガクンと揺れて、ゴンドラは天辺で停止した。
機械音すら静まり返る。
音もない。
光もない。
ただ、花火しか存在していない。

「綺麗だね」もう、そう声を出すのすらやぼだった。
完璧な静寂世界は真空にも似た密室で、私達は呼吸をすることすら忘れた。
朽ちていく体を持て余した魚になった。  

ゴンドラのわずかな隙間から、内部を満たしていた液体が流れ出る。
粘度が高い。
張り付いて離れようとしない軟水。
生温かさが流れていく。
いくら吐いても水は減らず、外の世界を水浸しにしていった。
私は半分薄れかかった意識の中で、水を垂れ流し続けるひとつのゴンドラと、空を覆う花火の大群、そしてそれを馬鹿のように水中から眺めるみっつの頭を見ていた。  



窓から斜め下方を覗き込んだ。
八番のゴンドラはとっくに頂上を過ぎ、今はもう私達の足下に居る。

「鯉子がおもちゃのカメラで花火を撮ってる。」
私が言うとこっちまで来て、同じようにして窓を覗き込んだ。
ゴンドラの屋根しか見えないよ、繭花が言った。
「でも、本当かもしれない。」
繭花は最後にそう付け足した。

亜由美が持ってきた戦利品の中に、おもちゃのカメラが入っていたことを思い出した。
「もし違ってても。」
私はちょっとだけ怖くなって付け加えた。
「鯉子はきっと、この花火見てる。」
「そりゃそうでしょ。一人で夜の観覧車に乗り込んで、他に見るものなんてあるの。」



私が今、花火を見ている。
鯉子も、私のすぐ側で、でも違う空間で、同じようにして同じ花火を見ている。
そんな当たり前のことが不思議だった。

私の代わりに、花火の声が腹の底まで響く。
息を継ごうとすると心臓が邪魔をして、肺を塞いでしまう。  

私が鯉子であることに恐怖し、死んでしまおうと言った鯉子。
本当にどうにかしなきゃいけなかったのは、世界なんかではなく街にでもなく、家の中にあった。
彼女の半身だった。
彼女自身だった。
私だった。

ああ、この十四年と三百六十四日。
長かった、深く深いこの孤独と。
やっと私は胸を張って、自分の名前を言える。  

眠るような水の中で、鯉子の息継ぎが今も側で聞こえる。
花火がはじけるたびに、心臓の音が一音一音、溶けゆくように静まっていった。  
 


 



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