水 中 散 策 七:ヘヴン |
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少しだけガクンと揺れて、ゴンドラは天辺で停止した。 機械音すら静まり返る。 音もない。 光もない。 ただ、花火しか存在していない。 「綺麗だね」もう、そう声を出すのすらやぼだった。 完璧な静寂世界は真空にも似た密室で、私達は呼吸をすることすら忘れた。 朽ちていく体を持て余した魚になった。 ゴンドラのわずかな隙間から、内部を満たしていた液体が流れ出る。 粘度が高い。 張り付いて離れようとしない軟水。 生温かさが流れていく。 いくら吐いても水は減らず、外の世界を水浸しにしていった。 私は半分薄れかかった意識の中で、水を垂れ流し続けるひとつのゴンドラと、空を覆う花火の大群、そしてそれを馬鹿のように水中から眺めるみっつの頭を見ていた。 窓から斜め下方を覗き込んだ。 八番のゴンドラはとっくに頂上を過ぎ、今はもう私達の足下に居る。 「鯉子がおもちゃのカメラで花火を撮ってる。」 私が言うとこっちまで来て、同じようにして窓を覗き込んだ。 ゴンドラの屋根しか見えないよ、繭花が言った。 「でも、本当かもしれない。」 繭花は最後にそう付け足した。 亜由美が持ってきた戦利品の中に、おもちゃのカメラが入っていたことを思い出した。 「もし違ってても。」 私はちょっとだけ怖くなって付け加えた。 「鯉子はきっと、この花火見てる。」 「そりゃそうでしょ。一人で夜の観覧車に乗り込んで、他に見るものなんてあるの。」 私が今、花火を見ている。 鯉子も、私のすぐ側で、でも違う空間で、同じようにして同じ花火を見ている。 そんな当たり前のことが不思議だった。 私の代わりに、花火の声が腹の底まで響く。 息を継ごうとすると心臓が邪魔をして、肺を塞いでしまう。 私が鯉子であることに恐怖し、死んでしまおうと言った鯉子。 本当にどうにかしなきゃいけなかったのは、世界なんかではなく街にでもなく、家の中にあった。 彼女の半身だった。 彼女自身だった。 私だった。 ああ、この十四年と三百六十四日。 長かった、深く深いこの孤独と。 やっと私は胸を張って、自分の名前を言える。 眠るような水の中で、鯉子の息継ぎが今も側で聞こえる。 花火がはじけるたびに、心臓の音が一音一音、溶けゆくように静まっていった。 |
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